羽生結弦選手に国民栄誉賞授与へ 政府が最終調整へ

By | 2018年3月5日

人生に愛と豊かさを~幸せのミラクル・スピリチュアル・セッション

レムリアン・スピリチュアル・アルケミスト
リュミエール ひろし(HIROSHI)です

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コスモス  羽生結弦選手に国民栄誉賞授与へ 政府が最終調整へ

羽生結弦選手が男子では平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子で
前回2014年ソチ大会に続く66年ぶりの五輪連覇を達成し、
フィギュア選手では初めての国民栄誉賞候補に挙がっているのだとか

単純にうれしいですね~
右足首のけがを乗り越え、国民に大きな感動を与えた点が
評価されたポイントなのだとか

オリンピック前に決意の表れか、少し強気のコメントだったので
実は「大丈夫?」と心配していたのです

話を総合すると4回転半は大会のほぼ一週間前にやっと飛べるように
しかも痛み止めを打つこともできず、本来ならば医師団も
「見送り」を勧告するほどの症状
まかり間違えばミスよりも、ケガ・事故で選手生命さえをも
立たれてしまうかもしれない瀬戸際、ほぼぶっつけ本番の状態で
臨んだオリンピック

ドキドキして本番は見ることができず、1位になったのを知った後から
ニュースのダイジェストでやっと演技を確認
フリーに至っては2-3日経って情報番組で、特別に2分38秒?
(位だったと思う)をノーカットで送ります、ということでやっと
見ることか出来、3日遅れなのに演技を見ていて涙しました


いまだにエキシビションは見ていません、、、

なので国民栄誉賞なら単純にうれしいのです。
羽生さんのコメントはバックにメンタルコーチでもいるのかしらん?
と思えるほど立派で、しかも1個人が試合に勝つという地点から
はるかに超越して、国を背負ったり、みんなのエールの力でさらに
滑らせてもらっているんだという意識の高さが一過性の口先だけの
考え方でないことがひしひしと伝わって来て、驚嘆とともに、
頭が下がる思いです。

確かに何に対して「国民栄誉賞」を授与していくか、政治的判断で
基準が明確でない、羽生選手にとってまだ若すぎるなどとの批判も
一部で出ているようです。

しかし、羽生選手への国民栄誉賞は別の視点からの政府の姿勢を
伺うことができるのです。
それは帰国後、いくつか会見・報告会が続くのですが、突飛な質問も
続いた外国人記者クラブ会見の後、たしかスポーツ庁へ出向き、
報告の際、スケートをしたい人がもっと増えたり練習できるよう、
スケートリンクなど施設の拡充をニュースでは切にお願いしている
シーンを見ました。
(実際の放送は会見をはしごする羽生選手の追っかけファンの
 追跡ドキュメンタリー特集)

今回、オリンピックの解説をしていた元フィギュア選手の村上佳菜子さんも
「地方よりも東京で競技練習をする場所の確保の困難さ」
を語っていました。
なんでも人口に比べて東京ではリンクが2つしかないので、予約が難しい
順番待ち、1つジャンプすればすぐ壁にぶつかってしまう程狭い、そして
やっと順番が回ってきも一般の方が滑る脇で一緒に練習せざるを得ない、
しかも氷という経費・維持費の高さなどをポロリとこぼしていました。

国民栄誉賞の目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与える
ことに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」

と規定されています

金をいくつ取ったか以前に、どれだけ国民意識に影響力を持ったかで
語られるべきで、金をいくつ取ったかその数ではないと思うのです。
メダルの金は相対評価で、参加者のレベルとその時の集団の出来で
左右されるもの。
新記録などは絶対的な評価

何が言いたいかというと、この人にあげたいとなると、「ではこの人は?」
みたいな「忖度」が働くことがいかがなものか?となるのです。

例えば、個人的に吉田沙保里さんの国民栄誉賞受賞は有無を言わせない
圧倒的説得力があるのだけれど、だったら伊調馨さんにも渡さないと、という忖度

スポーツでいえば試合の勝ち負けだけにとどまらない、国民全員の心への
影響力と鼓舞するもの、感動をいかに与え続けてきたか、
その偉業を通して働きかけられる人の気持ちや心持ちに対し、
いかに影響を与えてきたかに対して与えられるのもこそ国民栄誉賞受賞だと思うのです。

だから口はばったい言い方をすると、伊調馨さんへの国民栄誉賞受賞は
確かに女子個人として人類史上初のオリンピック4連覇はすごいのかも
知れないけど単純に「なんで?」と思うのです。
吉田沙保里さんの国民栄誉賞受賞のおこぼれ感と忖度の賜物のようにしか
当時感じなかったものでした。
国民栄誉賞受賞が「業績そのもの」に対してではなく、
「その偉業を通した影響力、人望・人の在り方そのもの」に対して与えられるものならば、
最近の伊調さんを取り巻く報道は「ああ、やっぱり、、、」と残念極まりないのです
その意味では賞をもらったからには生き様を徹底してほしいし、お立場を守ってほしいのです。
個人的な勝ち負けではなく、日本の代表選手、国や日の丸を背負っているみたいな
「私(わたくし)ごと」ではない「公」的意識。
だからこそただでさえ自分の競技だけに専念できない、さらなる責任感やプレッシャーからか、
日本選手団の主将は金メダルを取れないというまことしやかなジンクスもありました
今回それも見事に打ち破られました!

一昔まえにあった国民栄誉賞受賞は亡くなってからのものみたいな感覚も、
一生を通じ、そして死してもなお、国民のメンタリティーにしっかりと
感動や勇気や喜びなどの影響力がしっかりと息づいているからこそ

振り返って一過性のブームや「そんな人もいたね」ではなく、
その人がいたからこそ「今」があり、今につながり未来へと開かれ行く
エールをいつまでも送り続けてくれている足跡に対する国を挙げての賞賛こそ、国民栄誉賞

今回受賞が決まれば、冬のオリンピック選手で初めて、
さらには23歳という史上最年少での受賞となるかもしれません

その上で時の内閣の政治的意向・判断によって受賞が決まるとも言われていますが、
羽生結弦選手の国民栄誉賞授与はただ、2連覇という偉業に対して以上にさらに
大きな意味を持つと個人的に思うのです

ずっと昔からスポーツで食べていけるのは芸術家になるよりも難しく、
稼いでいられる時期も短く、怪我をしたら終わり、若いうちだけでつぶしの利かない、
俗にいう割に合わない職業。
しかもそんなスポーツは野球くらいで、続いてゴルフや相撲に関わる人の一部くらい

平成のオンリーワンの世の中となり、それぞれの個性と才能を花開かせて
ワクワク一生懸命頑張れば、スポーツの世界でも道と扉が開いていく、、、
それはサッカーやシンクロナイズとスイミング、ラグビー、テニスなど、
その時々の団体やスターが現れる度に、みんなが熱狂し、競技も評価され、
若い人が次々と続き、切磋琢磨し合うことで百花繚乱のごとく若い才能が
豊かに花開いていく時代になりました

 

羽生選手はまずもって、一つ一つの発言・姿勢・考え方が類を見ないほど
しっかりとしていて、人格者というかとても頭が下がること。
こんな選手は今後、二度と現れてこないかもしれません

さらに加えて、羽生結弦選手が文科相やスポーツ庁帰国報告で、日本に
「フィギュア人口が多い中でリンクが少ない。
各地でスケートをやりたいと思う人が少しでもできる施設がほしい」
とリンクの増設・競技環境の整備を要望したそうです

そんな中での羽生選手への国民栄誉賞授与がもし決定されるのであれば、
東京オリンピック開催も控えることから、それはそのまま賞の行間には、

リンクの増設のみならずスポーツ全般に対しての政府・行政・文科省・
スポーツ庁をはじめ、国全体で普及・振興・支援に対して
前向きに乗り出していく方針を、政府自身が高らかに表明していく
意図の表れのように思えてならないのです

 

その点において授与決定は個人的にうれしいだけにとどまらず、
ある意味においてスポーツに対する取り組み方への国を挙げての
画期的な大転換のように思えます
ただ授与するだけにとどまらず、授与するからには受賞者の意思を尊重し、
大きく国家事業・政策方針の舵を切っていくこととなるのでしよう
そしてそれはまるで羽生結弦選手と内閣との間で交わされる
「相聞」のようにもふと思えてくるのです

 

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オリンピックは終わりましたがカーリングを始め、今後の影響と及ぼす経済効果など、まだまだメダリストたちから目が離せませんね