福沢諭吉と西郷隆盛 時代を理想で生き抜いた人々

By | 2018年12月16日

1年間続いた大河ドラマ、「西郷どん」、今日が最終回ですね
 
いよいよ西南戦争最終局面。
いつも肉体改造をしてドラマに望む鈴木亮平さん
「もうよかろ」と言い残し、自刃したと言われていますが、それをどう表現していくのか見せ場ですね

          (NHK twitter西郷どんより)
さてそんな西郷どんですが、1つの原因を作ったのが福沢諭吉だった

と言われたらあなたはどう、思いますか?
 
自由と平等を解いた明治時代のベストセラー作家福沢諭吉
その彼の著作、「学問のすすめ」の売り上げは300万部以上と言われています
 
「天は人の上に人を作らず」
有名ですね
後に慶應義塾大学を創設
人は平等に生まれてきている
だからこそ、それぞれが生き抜いていくための知恵を蓄えるための学びをしていきなさい
と語っていると思います
 
しかし彼の理想に燃えた思想は、若いうちはその言葉の通り、平等・博愛に満ちたものでしたが後年、時を経るにつれ人対人を国対国レベルにまで考えを引き上げ、西欧列強国に対して一向に発展・進化しないアジア諸国に対してしびれを切らし、目覚めた先を行く兄としての日本が、まだ歩き始めた弟・まだ目覚めていない妹たる国に対して率先して叱咤激励してでも目覚めさせるべきである考えに至りました
時代よりも先に生まれすぎていたのかもしれません
この思想論理は後に八紘一宇、大東亜共栄圏と言う太平洋戦争の思想的バックボーンの一つともなりました。
 
そしてそれは西郷隆盛の征韓論にも影響与えたのです
征韓論が裁可されなかったことに対し、抗議を示すために参議を辞職し鹿児島に帰ります
西郷隆盛の功績はたくさんありますが、最大の功績といえば江戸城無血開城
この他に、新政府成立によって職失った武士たちの雇用のためにも警察制度を創設しました
 
鹿児島では後進の育成のために私学校を造り、漢文教育や軍事訓練を通して不満を持て余した士族たちの統率を図るものの、政府から反乱の懸念を持たれてしまいます
紆余曲折を経て西南戦争へ。
 
最後の内乱といわれた西南戦争
自ら作った警察隊(政府軍)によって皮肉にも「逆賊」として制圧され、これをもって武士の時代が終焉したと言われています
 
後にその罪が赦され、名誉回復した記念に建てられたのが上野の「西郷像」です。
 
江戸城無血開城後も将軍家の菩提寺・寛永寺に立てこもる幕府軍残党(彰義隊)との対戦を指揮していたのが西郷さん
(結果、新政府軍は江戸以西を掌握することとなります)
その彰義隊攻撃の最前線(山王台)の場所こそが銅像付近であったと言われています
 
時代より先に生き抜いた福沢諭吉
時代の新しい大きな流れに不器用だった西郷隆盛
それぞれがそれぞれにたくさんの遺産を私たちに残してくれましたが、
理想をそのまま表現、体現していくのは難しいものですが
その背中は灯台のように私たちを今も導いてくれています